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誰のため

  • 執筆者の写真: Kiyomi Okita
    Kiyomi Okita
  • 2017年11月17日
  • 読了時間: 1分

December 31, 2016 ベニヤ原生花園 

それが誰のための議論なのか見失った時、議論はどこにも着地せず、ただ周りを濁らせて終わってしまう。

それを目の当たりにした時、ただ悲しく思うが、自分だってそうならないとは言い切れないのだから、せめて自分は「何のためなのか」を

ちっぽけな理由でも

もしかしたら自分だけのためだとしてもはっきりと自分のためと明言すればいいと思う。

誰かのためのフリはしたくない。

どうしたい、なんのために、あるいは誰のために。

カッコつけずに、素直に言葉を放ち、そしてそれについて考える。

 
 
 
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